2016年1月14日木曜日

「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」という村上春樹の話とカスタマージャーニーマップの制作は似ている。「カスタマージャーニーという物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。」

デザイナーのSebastian Errazurizの作品をは、ツリー構造に従って棚やテーブルを構築し、重力に自然な形で家具デザインをおこなっている。なんだかマインドマップにも似ている。


















カスタマージャーニーと言うマーケティング言語がある。カスタマージャーニーとは(Customer Journey). 顧客がどのように商品やブランドとの接点を持って認知し、関心を持ち、購入や登録に至るのか、というプロセスを旅に例えた言葉。














カスタマージャーニーを可視化して分析することで、マーケティング活動の最適化をはかるための手法であり、コンシューマの消費行動のシナリオを描くことで、顧客が商品やサービスを知り、顧客行動の仮説を共有し最終的に購買するまでの、カスタマーの「行動」「思考」「感情」などのプロセス。

















村上春樹の「雑文集」という書籍がある。その中の一文に、小説家とは何か、と質問されたとき、僕はだいたいいつもこう答えることにしている。「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間です」と。なぜ小説家は多くを観察しなくてはならないのか?多くの正しい観察のないところに多くの正しい描写はありえないからだ。















それでは、なぜわずかしか判断を下さないのか?最終的な判断を下すのは常に読者であって、作者ではないからだ。小説家の役割は、下すべき判断をもっとも魅惑的なかたちにして読者にそっと手渡すことにある。

良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ。

















読者はその仮説の集積を自分の中にとりあえず取り込み、自分のオーダーに従ってもう一度個人的にわかりやすいかたちに並べ替える。その作業はほとんどの場合、自動的に、ほぼ無意識のうちにおこなわれる。

















僕が言う「判断」とは、つまりその個人的な並べ替え作業のことだ。仮説の行方を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる。村上春樹

















どうでしょうか。カスタマージャーニーマップの作り方に似ていませんか?
http://www.thisiscolossal.com/2016/01/sebastian-errazuriz-tree-furniture/


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