2016年10月14日金曜日

貨幣がなくなるのではなくて、「貨幣は実体性を失った情報になることでより純粋化した」だけなのだ。と岩井克人は語る

「質量のある物はダサい」と常々猪子寿之は語る。デジタル派の頭領だから多少プロパガンダもあるのだろうが、実社会から質量を持つ物の情報化が進展しているのは確かだ。95年くらいにeキャッシュなどの電子マネーが出てきた。

経済学者・岩井克人が『貨幣論』で書いたように、貨幣というのはモノ自身に価値があるのではなく、貨幣として使われているから価値があるのだということが、まわりの思惑を裏切って電子化で反ってどんどん純粋化してきたと言う。

コンビニのレジに並んでいると、「チャリーン」というエコーのかかった音が今日も聞こえる。一般化した電子マネーである。パネルにカード をかざすだけで、釣り銭のわずらわしさを気にすることもなく、一瞬で清算が済む。
イラスト:川口澄子






















お金そのものを見ずに清算を済ます、ということ自体はなにも新しいことではない。クレジットカードもそうだし、小切手もそうだ。お金を払う代わりに、数字を見てサインをする。その発展版が電子マネーだが、こんなハイテクな「お金」の音が、「チャリーン」というアナログなコインの音を摸するというところに、興味が沸く。

当時、そうした電子マネーが出てきたときに、「貨幣がなくなる」ということをいろんな人が言った。しかし貨幣がなくなるのではなくて、「貨幣は実体性を失った情報になることでより純粋化した」だけなのだ。と語る。

金塊やコイン、それがのちに紙幣になって、貨幣がだんだんモノとしての重みを失っていくプロセスの究極形態であるキャッシュレスは、マネーレスではない。しかしブロックチェーンを語るとき必ず引き合いに出されるビットコインは、「必ず滅びる」と、経済学者・岩井克人は断言する。
http://wired.jp/2016/10/12/katsuhito-iwai-interview/
https://www.amazon.co.jp/dp/B01KHBZ4XY/condenast-22/



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